な  に  も  い  ら  な  い










体の上を暴力が過ぎて行く。
そう、いずれ過ぎ去るものなのだ。気にする程の事ではない。





私がイシュヴァールで頻繁に錯乱状態に陥ったように、彼にも後遺症とい う形で影響が出ていた。
戦争神経症による精神分裂、悲惨な戦場を体験し た軍人ならよくある話だ。
しかし、それだけではない。士官学校の訓練に拷問とそれに耐えるというものがあった。自分は錬金術師用のカリキュラムだった為、それをヒューズと共に受けてることはなかったが、訓練中の彼は別人のように酷くえげつなかったと友人達は話していた。
元々、そういう素質はあったのだろう。





突然の自宅への来訪に驚く間もなかった。
冷たく昏い眼を認めた途端、胸倉を捕まれ、体が軽く宙に浮く。
「入れろ」
拒否権はなかった。やけに重々しい音がして扉が閉まり、鍵が下ろされた。それからは、されるがままだ。
殴り倒され馬乗りになられたと思えば、首を絞めて落ちる手前で解放する。
落ちてしまえば殴って起こすの繰り返し。喉を酸素が急激に通過していきむせ込む。
何度目の解放だろう。
また腕が伸びてきて首を掴むのだと身構えていたが、今度は半分脱げかけたシャツを掴みそのまま引き摺られていく。
「お、おい…ヒューズ…?」
「…五月蝿い」
向かう場所を察し朦朧とする意識の中、体を捻り形にすらならない抵抗をする。
浴室はマズい。
血やら場合によっては血反吐も簡単に水に流せるため加減が分からなくなる。
もっともこうなってしまった彼に手加減も何もないのだろうけれど。
「嫌だ、おい…うあ!」
「ちったぁ、黙ってろ」
抵抗虚しく洗い場に突き飛ばされ、髪を鷲掴みにされたと思えば、入ろうと湯を張っていたバスタブにそのまま押し込まれる。
呼吸の自由を奪うのは拷問で有効な手段だ。単純に生命の危機を感じさせる事が出来るから。
拷問なら何か情報を吐かせる事を目的としているが、彼の場合、暴力こそが目的であるから始末に終えない。
水のせいか体力の消耗が激しい。
極力、水を飲まないように、顔を上げた時に酸素を吸い込みすぎないように努めるのがやっとだ。
「ぼご!がぼっ、……っはあ!がっは、はあ、はっ、はっ…っ!」
水中で聞こえる泡の音が意識を手放すように笑いかけているようだ。
けれど彼は絶妙のタイミングで酸素を与えるものだから、上手く気絶することさえ出来ない。
暴力は続く。



栓を抜いた浴槽に放り込まれ、後頭部を強く淵にぶつけた。呼吸困難に軽い脳震盪、もう自分がどうなっているが分からなくなる。
だから気付くのが遅れた。彼がコックを捻り、シャワーヘッドを私の頭上に翳すのが辛うじて見える。また水責めか、芸のない。
だが一向にシャワーの勢いを強める様子はなく、けれどヒューズは残忍な笑みを深める。
次に違和感、突如もくもくと湯気が上がり、体中に痛みが走って漸く気がついた。
針のように熱湯のシャワーが降ってくる。
「あ…ぁ、熱…いだ、ぁあ、が、あづ、あづい!あああ!!」
熱いと言うより痛い。顔面を、庇うように挙げた腕がみるみる赤くなっていく。喉が潰れたような奇声を発っし、決して広くない湯船の中、手足を突っ張る。正気ではない彼の前では強い抵抗はしないと決めていたが、あまりの事に パニックに陥って体が勝手に、力の限り暴れ出す。
だが、それを物凄い力で抑える彼の腕も熱で真っ赤になっているのに気にする様子はない。
暴力の衝動が痛みを超越してしまっているのだ。
「まだ暴れる元気があるんじゃねぇか」
「熱い!ヒュー…っ」
「そうか、熱いか」
「た、頼むから…ああ!熱いいぃぃ!!」
敏感な柔らかい皮膚を目掛けて湯が向けられ、思わず彼の腕を掴んでしまっ た。ギリギリと無意識に力が加わり、爪が食い込むと彼は目を顰め、それから殴られて初めて、いつの間にかシャワーが真逆の冷水に変わった事を認識した。
一気に身体中に鳥肌が走る。
「…ぁ、ぁあ」
「良かったじゃねぇか。熱かったんだろ?」
もう震えながら小さく頷くしかない。すうっと細められる目は捕食者のものに似ていた。
「どうした?寒いか?」
「だ、大丈夫だ…うぅ、大丈夫…」
歯がガチガチいうのを苦労して、抑えながら一つの呪文のように大丈夫と繰り返す。
それで満足したのかヒューズは、ぞっとするような顔でニヤリと笑った。腹いっぱい、肉を食らったライオンみたいな顔だった。
シャワーを止め、震えながら見上げる私に、やたら優しく触れたかと思え ば、ご褒美かのように熱い舌を捩じ込む口づけを一つ落とした。
ぬるりと冷えた粘膜を堪能するようにゆっくりと。名残のように舌を出したまま、顔を離した彼をぼんやりと見ていると、みるみる表情が変わり、先程の捕食者の眼は大きく見開かれ、次に泣きそうに歪められた。
「ロイ…俺、また…」
額に手を当て項垂れる姿を、もう何度見ただろう。
「…お前も!錬金術があるんだから本気で抵抗しねぇと、いつか理性なくした俺に殺されるぞ!」
「ははは…そうだな」
「笑い事じゃねぇよ…」
どうにもならない事を嘆くのはイシュヴァールの時から変わってない。彼のそういう所が嫌いじゃなかった。
「肩を貸そう、立てるか?」
恐る恐る触れてくる体温に泣きそうになる。
「…何も…しなくていい…。もう…帰れ」
「でも…」
「帰れ」
小さいけれど絶対的な拒絶の声に彼は酷く動揺し、二度躊躇った後、すまないと言い残し部屋から出て行った。
けれど、やはり放置していくのは気が引けるのだろう。遠ざかる足音が踵を引き摺っている。
完全に気配と足音が消えると静寂が降ってくる。冷たい無機質な浴室に取り残されてこれで良いのだと力を抜き目を閉じる。





ただ私は、あの日、救われたのだから、もう報われる必要はない、と今度こそ意識を手放した。









fin.



-----------------------------------------------------------------------
やりたい放題!(私が)



□BACK