折
  願
   望










あいつが選んだ女性だ。間違いなく賢明だと思っていたが、ここまでとは。





グレイシアは、ヒューズが手洗いに立ち、ご丁寧にトイレの扉が閉まるのを見計らって以前から抱いていた疑問を私に投げかけた。
私と彼の関係について、というより私の性癖について。

「…はは、何をおっしゃるかと思えば…」
「笑って誤摩化さないで頂戴、主人を愛しているのでしょう?」
「愛してますよ?」
「ほら、やっぱり」
「愛にも色々あるでしょう、私達の間にあるのは友愛ですよ」
「嘘、貴方が主人を見る目を見れば分かります」

一体何が分かるというのだろう、という疑問がぼんやり浮かんだと同時に
傍らで眠っていたエリシアが険悪な雰囲気を感じたのか、わあわあと泣き出した。
「あぁごめんね、エリシア。吃驚しちゃったねぇ」
体を弾ませ、あやすものの赤子は、なかなか泣き止まない。まるで私を叱責するように止まらぬ泣き声に目眩がする。



一体何が分かるというのだろう。
士官学校で厳しい訓練に共に耐えた事学んだ事。
理想を抱いて軍服に袖を通した瞬間、照れ臭くて同時に笑い出してしまった事。
イシュヴァール殲滅線で残忍な自己を否定する為に支え合った事。
この国の為に何が何でも、のし上がると誓いを立てた事。
それらが分かると言うのだろうか。



「エリシアちゃ〜ん、どうしちゃったのかな〜?
 パパが急にいなくなっちゃったから寂しかったのかな〜?」
いつの間にか帰って来たヒューズは、ひょいっとエリシアを片手で抱き上げ、額に額を当て緊張感のない笑顔で笑いかけた。
すると嫌に響く泣き声が止み、キャッキャと笑いながら、小さな掌が拙い線を描いてヒューズに伸ばされる。
「あれ〜?本当にパパがいなくて寂しかったのかな〜?
 エリシア可愛い〜〜〜〜!」
赤子の頬に頬を会わせ、本当に幸福そうに笑う彼を見ていると安堵と同時に、ある感情が吹き出して来そうになる。
くすくすと笑う理想の家族像は、自分は何処まで行っても部外者だと笑っているようだった。
大体、今日は私の誕生日祝いだと食事に誘われたのに何故こんな事になっているのだろう。
エリシアが泣き出した時に感じた目眩が、また襲って来る。
「ロイ、良いワインがあったの忘れてたわ。飲むだろ?」
弾かれたように顔を上げると彼が、ワインボトルを掲げるようにして屈託のない笑顔を向ける。

迷子が漸く親を見つけた時のように、泣きながら走り寄り抱き締められたい。

「…あぁ、今度は赤ワインか?」
欲求に忠実に顔が歪みそうになるのを堪えながら、笑顔応える。
その顔で賢明な彼女は、何かを確信したのであろう。
「マスタング中佐」
釘を刺すような声音に思わず振り返る。
「貴方も早く家庭が持てるといいわね?」
エリシアを腕に抱き、目の前に広がる美しい家族の肖像を誇るように笑う。
「はは、そうですね」
もう、この家には来ない。



目を見れば分かると彼女は言ったけれど、結局何も分かっていない事に安堵する。
最後の笑みは優越感によるもののようだが思い上がりも良い所だ。
私は彼女を羨んでなどいない。
婚姻等、他人だから出来るのだ。それは何処まで行っても別々の個である証明に過ぎない。
余所の家庭の話で「嫁は所詮他人だ」というフレーズが聞こえるぐらいだ。そんな不確かなものに用はなかった。
目を閉じて思い出す、エリシアを見る彼の慈愛に満ちた眼差しを。
あの子供は、それこそ遺伝子に組み込まれた本能を以て死ぬまで彼に愛される。
それは永久に揺るがぬものだ。あの腕に抱かれ、これ以上ないほどの安心感の中、眠りに着きたいと何度願った事だろう。



幾重にも歪んだ私は、彼の腹から産まれていれば良かったと下らない事を考えた。



食後のコーヒーまで、ご馳走になって漸く席を立つ。
途中まで送ってやるというヒューズの提案を女じゃないんだからと丁重に断り軍が用意したホテルに向かう。
宿に着いてしまえば、あらゆることが億劫でブーツを履いたまま床に転がった。勿論、軍服もコートもそのままに。
こめかみ、と板の間が硬くぶつかり不快だったが身じろぎすらする気が起きない。
ドアからの隙き間風と床下から迫って来る冷えで早くも指先がかじかんでくる。

だから震えが止まらない。

焔の錬金術師が聞いて呆れる、暖の一つも取れやしない。
「寒いな…」
口にした途端、虚しく響いて絶句する。



凍え死にそうだ。









fin.



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グレイシアもエリシアも好きですよ!



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