溺 れる    魚










寮の中は大騒ぎだった。
どの部屋からもパニックなんだかテンションが高いのか大声が聞こえ、部屋に溜った雨水をバケツリレーのようにバッサバッサと廊下に運び出している。
先日から降り続いた雨が台風に変わり、近くの河が氾濫した為、講義を終え自室に帰ってくる頃には床から水が沁み出し、夕食を終えて帰ってくれば立派な水溜まりが出来ていた。
教官達は、ちゃっかりと頑丈な校舎に籠り、サバイバル実習の代わりになると避難してくる生徒達を追い返した。
雨脚も風も強くなり、完全に校舎との行き来が出来なくなると室内の水位は臑辺りまで上がり
慣れない自然災害という状況に寮生たちは一斉に途方に暮れ一気にパニックになった。

「部屋に池が出来てるよ!ありえねぇよ、ありえねぇ!」
「最悪だよ!だから一階は嫌だったんだよ」
「いや、二階は二階で雨漏りと戦っていたぞ」
「さっきシエルの部屋見て来たけど、抵抗止めて傘差してた。屋根意味なし!」
「マジで?それは見たい!」
「手ぇ休めんな、お前ら」
今更、外を補強しに行くのは逆に危ないし、取り敢えず出来る事からとヒューズが中の水をかき出す。
私は濡れたらマズいものを慌ててクローゼットの上に積み上げ、机に乗り上げながら
履きっ放しで不快だった靴と靴下を脱いで適当に放り投げ、ズボンを捲りバケツリレーに参加する。
「でもヒューズ、もう開き直るしかなくね?」
「馬鹿、こんな水にずっと浸かってたら風邪引くだろうが」
「マスタング!お前、錬金術使えるんだから、水何とかしてくれよ!」
「蒸発させるとしたらお前ら、みんな固ゆでになるな」
「怖い事言うなよ…」
「水素として使うなら一発でなくなるが、この寮一棟吹っ飛ぶぞ」
「本末転倒だ!」
「あーもー!寒ぃなぁ、…あ?」
一瞬、照明が消えたと思えば、抵抗するように二回点滅して完全に光が消えた。
「停電かよ!」
「なぁ、キール何処行ったか知らねぇ?」
「ここにいるよ!」
「暗くて見えねぇよ!誰か蝋燭…」
ドウッと寮全体が暴風に揺れたと同時に、けたたましいガラスの割れる音が響いて廊下の窓、二つが壊れ真っ直ぐ突風が吹き抜ける。
「うあ!つめた!」
「ちょ!ガラスが飛んでくるって!」
「おい!危ねぇから、頭下げろ!」
「もういい、各自部屋に戻れ!ドアは明けるなよ!」
逃げ足だけは皆早かった、ランダムにあちこちのドアが叩き付けるように閉められる。
ヒュ−ズが慌てて部屋に飛び込んだのを確認し、扉に錬成陣を書いて補強する。
やれやれと長い溜め息を付くと、ようやく部屋に落ち着いた空気が流れる。

「何か…一気に疲れちまったな」
「同感だ」

凭れた扉の微かな軋みを背で感じながら薄暗い部屋の中、ヒューズの気配を追う。
裸足で室内を徘徊する彼の足下からはペタペタという皮膚と床が触れ合う音はしない。
ざぶざぶ、ざぶざぶ。
室内あるまじき、その音に思わず苦笑いが零れる。
外では相変わらず雨が降り続けていて、窓ガラスを絶え間なく大量の水が滑り落ちて行く。

上も大水、下も大水、これなぁんだ?

なぞなぞにしようがない、我ながら酷い冗談だ。
濡れた足を椅子に引き上げタオルで拭きながら、敢えて言うなら水槽に似ているなと思った。
「あんまり長く水の中にいると冷えるぞ、ヒューズ」
「分かってるって。いやな?だからよ」
一人でチェストやら机やらの配置を変えながら、何やらひどく楽しそうだ。
そのまま、チェストに乗り上げたかと思うと椅子、机を飛び石のように踏んで、こっちに近寄る。
「これで濡れないで移動が可能って事だ」
「成る程な」
「あー疲れたー」
机の高さから得意げに、こちらを見下ろしながら、二段ベッドの一段部分に座り込む。
外は止まない雨と風と雷鳴とで酷く騒がしい。だが、もうピークは過ぎた。後は嵐が過ぎるのを、じっと待っていれば良い。
前もって避難させていた蝋燭を持ち、ヒューズと同じように家具に飛び移りながら火を灯して行く。
ある程度、部屋が明るくなる頃には外の嵐も気にならなくなっていたが、
水面が蝋燭の光を反射させ揺らした時に違和感を抱き、それで次の問題に気が付いた。
「ヒューズ…お前のベッド、使えなくなりそうだぞ」
「へ?」
順調に水位は上がっていたようで、それは今では二段ベッドの下とほぼ同じ高さになっていた。
申し訳程度の梯子に飛び乗り自分のベッドから下を見下ろすと、なかなか悲惨な事になってる。
「おわっ、何か冷てぇと思ったら水が染みて来てんじゃねぇか」
「ご愁傷様」
「おい、今夜は上に避難させてくれよ」
「嫌だ」
「何でだよ!他に寝るところねぇじゃねぇか」
「机でも椅子でも好きに繋げればいい、ベッドが狭くなるから嫌だ」
「酷ぇ!いいじゃねぇか、一日だけなんだから!」
そう言って立ち上がり梯子に足を掛けようとするから慌てて上から手を伸ばし彼を押さえ込む。
最悪!鬼!悪魔!と言いながら無理にでも上がって来ようとするから、ついこっちも本気になる。
不意に彼の力が抜けた。濡れた足では、どうしたって滑る。
きょとんとした顔のまま水溜まりに落ちる彼を見届けるとドボンと、やはり室内では有り得ない音が響いて水しぶきが上がる。
近くにあった椅子は水を完全に被って置いてあった蝋燭も流されてしまった。
「げぇ!口ん中、水入った!」
「ばっちぃな」
「ローイー」
にやにや笑いながら見下ろしてやると珍しく怒った顔の彼と目が合う。
「あぁ、悪かった悪かった」
あくまで、こちらが優位という体で梯子を下り、水浸しの彼の手を取る。
彼の手は意外に温かく、驚いて気が抜けた瞬間を狙ったように掴み直した腕を強く引かれ
いっそ清々しい流れのまま二人仲良く、室内に出来た池に、先程よりも盛大な水しぶきを上げながら飛び込んだ。
慌てて顔を上げ、張り付く前髪を掻き上げると彼が向かい側で尻餅を付きながらも可笑しくて堪らないといった顔で笑っていた。
「…ヒューズ」
怒りを込めて睨むが、彼は天井を仰ぎながらゲラゲラ笑い転げている。お互い水浸しで取り返しがつかなくなり、怒る気も失せた。
折角灯した明かりが幾つか消えている、今のように近くにいなくては相手の位置が分からないだろう。
外では未だに雨と風と雷が大合唱を続けている。
散々笑ったからかヒューズが満足そうな溜め息を付いた。
見るとシャツもズボンも水浸しで彼の発達途中の筋肉に張り付き、その形をトレースしている。
体が震える、寒さじゃない。興奮して。
水滴の付いた眼鏡を外し、ぶんぶん振って再度かけると、またにやけた笑いを寄越す。
「風邪ひいちまうな」
「もう諦めている」
雷に照らされてヒューズの目が妖しく光った。遅れてやってきた地鳴りは己の喧しい心音に掻き消される。
彼が口を開こうとしたのが合図だった。
胸倉を掴んで口唇を奪って舌を捩じ込むと、その分丁寧に愛されて面を食らう。
「…っ、お前…」
「お誘いに乗るぜ?」
どちらの目もギラギラしていた。水の中、立ち上がり張り付く互いのシャツを苦労して引き剥がし、そのままヒューズのベッドに縺れ込む。
「冷たっ!」
「おぉ、布団が既にぐっしょり」
上に移ろうと目で訴えるが、鎖骨を噛まれる事によって却下される。
濡れて足に絡むズボンが不快で早く脱がして欲しかったが自分からは言えない。
気を散らす為、目を閉じて先程想像した水槽を思い浮かべる。
それは欲望という液体で満たされていて、自分は今から彼と、その中を泳ぐのだ。
目を開けると彼が不思議そうに、こちらを覗き込んでいるものだから。


口を開けて舌を覗かせ、キスを強請った。
邪魔だよな、と彼が眼鏡を池に放る。


ぶくぶくと、沈んで行く音が聞こえた。











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あんまり士官学校関係なかった…。


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