一つの仮説が立つ。
電話の向こうのヒューズは生きてる、と希望的観測。
「電話回線が何らかの原因により時空レベルで捻れた」程度の良い加減な見解にも関わらず何故か確信はあった。
向こうの彼が助かれば、ここにヒューズが返ってくる。その可能性に胸が踊った。
後悔と懺悔を何度繰り返しただろう。あの優しい気配に掌、眼差し、このままでは、どんどん遠退きそうで。
奪還するのだ、時の経過から彼を。
でも、どうやって?
愛娘の誕生日を控え浮かれている男に近々お前は死ぬと教えるのか?
それは酷だし、あまりに納得させる証拠がない。
中途半端な情報はさら向こうの彼の危険を高める事にもなる。
せめて犯人が分かっていれば接触しないように忠告出来たのに。
どうする、考えろ。
焦燥と期待で心臓が千切れそうだった、リミットは近い。

ジリリリリリリリリッ

そして今日も受話器を取る。










「大佐、先日から輪をかけて、お疲れのようなのですが…」
「…あぁ、実は最近眠れなくてね」
「そんな…私達の事は気にせず、お休みになられた方が」
「いや、大丈夫だ。問題ない」
「しかし…」
「何より、時間がない」
「時間…ですか?書類の提出期限には、まだ若干余裕が…」
「中尉、席を外してくれないか」
「…はい、失礼いたします」
努めて微笑みながら彼女との会話を拒否する。上司を心配する部下、優しいホークアイ中尉。
その上司が私情で神経を擦り減らしている姿なんて見せたくなかった。
突破口が見つからぬまま、時が過ぎて行く。アームストロング少佐の示した通り軍絡みだからだろう。
あまりに得られる情報が少な過ぎた。そんな状態で彼に真実を告げる事は出来ない。
通話をしていても、もうほとんどないようは頭に入らなかった。
適当に相槌を打ち、頭を必死で回転させるばかり。
上着を取り、外に出る支度をする、心地の良い音楽のような彼の声を聴く為に。










明日だ。
「エリシアのお誕生日会を開いたんだ。あっという間に三歳になっちまって、
 まだついこの前まで、赤ん坊だったってのにな。そんで、お誕生日会でな…」
もう、時間がない。
「ヒューズ。…いいか、よく聞け。お前は明日、何者かに殺される」
「は、何言ってんだ?」
「いいから聞け!お前が何処から掛けているか知らないが、如何なる理由があろうと
 明日、セントラルの電話ボックスには近付くな」
「はははは、つまんねぇ冗談言いやがる」
「エルリック兄弟がセントラルに居るな?当時、私にそれは知らされてなかった。
 ならば何故、私がそれを知り得たか。ここがお前から見て未来だからだ」
「そんなもん、アームストロング少佐が電話で知らせたかもしれねぇじゃねぇか。
 間違ってもエルリック兄弟がセントラルに居る事を知っているだけで、
 お前に未来予知の能力があるなんて証明にはならねぇだろ、そんな事より今日のお誕生日会でさ…」
言うべき事はいっぱいあった。
賢者の石、練成陣、軍に落ちる黒い影まだ真相は掴めてないがキーワードだけでも伝えるべきだった。
賢い男だ。バラバラに散らばった情報も整理して理論的に揃え、真実を導き出し、自分が何故殺される可能性があるのか気付く筈だ。
そして私の要求を受け入れてくれたかもしれない。何より彼の命を救う為、冷静でなければならなかった。
しかし、血を吐く想いで口に出来たのは一言。
「だが事実、今、ここに、お前がいない…っ!」
「……」
喉がひしゃげたような酷い声だった。
「…お前…疲れてんだよ、ロイ。時間も遅いもんな、もう寝た方が良いぜ?」
「…っ、ぁ、ヒューズ」
「おやすみ、ロイ」
返事を待たずに電話が切られる。
「あ……ぁ…」
ここが狭くて良かった、危うく膝が崩れそうになった。何も出来なかったのだ。
逆に彼にいらぬ動揺を与えて、戦場で生きて帰るを貫いた男に私は酷い事をした。
「すまない…」
外に出て振り返り、早くも姿を消した電話ボックスに向かって呟き、どうか無事でと祈った。
もうすぐ、夜が明ける。









その日。

ジリリリリリリリリッ

電話が鳴ったと同時に扉に飛び付き、噛み付くように受話器を毟り取る。
真っ先に認識したのは身に覚えのある沈黙。
「…ヒューズ?」
何度、名を呼んでも返事が返らない。生き物の気配がしない、受話器の向こう。
間に合わなかった。
彼は返ってこない。
彼は死んだ。
そうだ、一ヶ月前彼は死んだのだ。
宙に浮きっ放しだった事実が、しんしんと電話ボックスに降ってくる。その重さに耐えきれないように掌から受話器が滑り落ちた。
次に認識したのは血痕。四方を見渡せば自分の立っている位置を中心に紅色が、飛び散っている。
目の前のガラスにはヒビが入っていて、その上から灰色や赤黒い何かがぶちまけられていて。
ヒューズの、良く切れる頭の中身。
「…っ、う、ぁ……」
慄き口に手を当て、よろよろと後ずさり電話ボックスの境界に踵を引っ掛け尻餅を付く。
見上げる箱は、ぽっかりと口を空けた真っ暗い穴のように見えた。
未だに、ぶらぶらと落とした余韻に揺れる受話器が不意に浮き上がる。それに驚き顔を上げた時には体が先に動いていた。
幻覚かもしれないという躊躇いなど蹴散らすように目の前にいるヒューズの体を抱き留める。
腕にも胸にも確かな感触と手応えがあり、歓喜に叫び出しそうなのを堪え、顔を上げた。
「ごめんな…」
「…?」
「何つーか、俺は残留思念みたいなもので過去とかの関わりはねぇんだ。
 混乱させて悪かった、しんどかったな辛かったな」
「ヒューズ?」
なにをいっているのだろう。
「伝えたい事があったから、半端に残っちまった」
窘めるように手を取られ、そのまま体を捻るように腕ごと後ろから強く抱き締められて振り返る事もままならない。
「なぁ、聞けよ。
 エリシアの話したろ?楽しそうだったろう?実際、楽しかったさ。幸せだった。
 それを守ったのは、お前だよ。ロイ。だから何も悲しむ事はないんだ」
そうじゃない。
そうじゃないだろう、ヒューズ。
自慢の娘は、これからも沢山の幸せを与えてくれるだろう。
奥方のように 美しく育った愛娘をお前は相変わらず毎日自慢するのだ。そう毎日毎日。
そうだ。未来の話をしよう、輝かしい未来の。
「こんな、死んで未来がないみたいになっちまったけど、こうして目ぇ閉じると聞こえるんだ。
 お前さんが上り詰める軍靴の高らかな音が」
おかしい、私にはその隣にはお前が見えていた筈なのに。
「どうか人々に俺のような幸福を」
あぁ、分かった。
「どうか素晴らしい未来を」
分かっているよ。
「それが出来るのは、ロイだけだ。どうか、未来の大総統閣下」
それだけ一方的に告げると、腕が緩まりどんと背中を押され外に追い出される。
腕の感触の名残りを感じながら振り返ると、扉を閉めてこちらに敬礼する彼と目が合った。
行ってしまう。



あぁ、漸く気付いた。
この電話ボックスを見た時、取り返しの付かないと感じた理由。
これは、柩に似ている。



葬儀と厳粛な空気を思い出し、自然と腕が上がり敬礼の形を取った。
雨が降れば良かった。頬を濡らさず送り出すとは何と難しい事だろう。
堪えるように右手を崩し、髪に差し込んで握り込むと不恰好な敬礼に見えたのだろうヒューズが笑う。
彼を抱いたまま、電話ボックスは煙のように空に昇り消え、二度と現れる事はなかった。





その一週間後、私はバリー・ザ・チョッパーという手掛かりを得る事となる。












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広げた風呂敷が思ったより大きかった。反省。


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